なぜ今、ドイツで兵役制度改革なのか

新年明けましておめでとうございます。2026年が皆さまにとって、さらなる良い年でありますように。

新年早々ではありますが、ドイツ連邦議会によって可決された兵役制度改革について、歴史的背景を振り返りつつまとめてみたいと思います。この法律は、2025年12月5日、CDU、CSU、SPDからなる与党会派の賛成により、AfD、緑の党、左派党の反対を押し切って可決されました。この日には、「兵役義務反対・学校ストライキ」として、全国約90都市で生徒による抗議デモも行われています。

兵役義務の歴史的背景

第二次世界大戦後、ドイツは非武装化され、1949年の基本法制定当初は独自の軍隊を持つことができませんでした。しかし、1950年に勃発した朝鮮戦争と冷戦の激化を受け、西ドイツでは再軍備が議論されるようになります。当時の首相アデナウアーは、ソ連の脅威を理由に軍創設の必要性を主張しました。

1955年に西ドイツは北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、これに対抗するかたちで東側諸国はワルシャワ条約機構を結成します。その流れの中で、翌年までに西の連邦軍(Bundeswehr)、東の国家人民軍(NVA: Nationale Volksarmee)が成立しました。

冷戦期、兵役は東西ドイツで異なる意味を持っていました。西ドイツでは「民主主義国家の防衛」という理念が強調された一方、東ドイツでは体制への忠誠を求める性格が強く、兵役は国家による統制の象徴でもあったためです。

その後、西ドイツの連邦軍は最大約50万人規模となり、1956年には一般的兵役義務が導入されました。兵役期間は当初12か月でしたが、後に18か月へと延長され、東西統一とともに段階的に短縮され、2011年の停止時点では6か月となっていました。

なお、西ドイツの再軍備と兵役義務の導入は、安全保障上の必要性だけでなく、ナチス・ドイツの軍事的暴走への反省という重い歴史と常に隣り合わせで進められてきました。軍を持つことそのものに対する社会的警戒感は強く、兵役義務の導入時には労働組合や教会、市民運動による大きな反対も起きています。

ナチスへの抵抗感は今なお強い
ナチスへの抵抗感は今なお強い (U.S. National Archives and Records Administrationより)

兵役義務が停止された理由

2011年、ドイツの兵役義務は停止へと舵を切ります。この背景には冷戦終結と東西対立の解消により、直接的な軍事的脅威が低下したことがあり、連邦軍は縮小され、国防費も削減されることになりました。

また、海外派遣を中心とする任務においては、短期兵役の兵士が不向きであったことや、すべての適性者が兵役に就くわけではなく、「兵役の公平性(Wehrgerechtigkeit)」への疑問が強まっていたことも、停止の理由として挙げられます。若い男性の基本権を制限する兵役義務は正当化できないとして、2011年に制度は停止されました。

もっとも、この兵役義務の停止は、価値観の転換というよりも、当時の安全保障環境と軍の運用実態に即した現実的判断だったとも言えます。その前提が崩れた今、兵役制度はあらためて問い直されているのです。

ドイツ連邦軍
ドイツ連邦軍(© Bundeswehr / Mario Bähr) (flickerより)

なぜ再び議論されているのか

兵役制度改革が再び議論される背景には、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を受け、欧州の安全保障環境が急変したことがあります。ドイツは1,000億ユーロを超える特別予算を計上し、連邦軍の近代化を進めています。

国防相ボリス・ピストリウスは、「戦争に耐えうる体制」の必要性を強調しており、現役26万人、予備役20万人規模の体制を目指しています。しかし、現状では志願者不足が続いています。

志願者数が目標に達しない場合や、安全保障状況がさらに悪化した場合には、「需要に基づく兵役義務」が導入される可能性もあります。ただし、これは自動的な兵役復活を意味するものではなく、実施には新たな法律が必要とされます。また、良心的兵役拒否の権利は引き続き保障されるとされています。

私が感じていること

ここからは個人的な見解になりますが、冷戦時に壁が築かれた歴史を持つベルリンで暮らしていると、ロシアの脅威が再び現実のものとして語られる現在の状況には、どうしても敏感にならざるを得ません。兵役制度改革は、単なる人員確保策ではなく、戦後ドイツが積み重ねてきた「軍と社会の距離」をどのように再定義するのかという問いでもあるように思えます。

10代の息子や娘を持つ母親として、今回の決定には眉をひそめざるを得ませんでした。ピストリウス国防相の言う「戦争に耐えうる体制」とは、一体どのような社会を指しているのでしょうか。ドイツは、そして欧州は、どこへ向かおうとしているのか。そもそも再軍備を余儀なくされる状況そのものが、外交の失敗の結果であるとも言えるのではないでしょうか。 また、ドイツ経済自体は停滞している一方で、分野問わず、防衛に関連する業界は好調に見受けられます。IT業界においても、防衛関連事業は活発化しており、優秀なITエンジニアの採用に各社が力を入れているようです。

ただ、私の知人で、転職活動中のITエンジニアの息子を持つ母親から、「防衛関係の会社の選考が進んでいると聞いたとき、素直には喜べなかった」という声を聞きました。自分の子どもが、たとえ間接的であっても、防衛関係事業に関わることについて複雑な気持ちを抱く人は少なくないように思われます。

新年早々、アメリカがベネズエラを攻撃したことも、世界的に大きなニュースとなりました。これに対し、ドイツをはじめとするNATO加盟国の首脳陣は、総じて歯切れの悪いコメントに終始しています。次はグリーンランド(デンマーク領)ではないかという不安の声もあり、その場合、NATOという枠組み自体が揺らぐのではないかとの見方も出ています。

ロシアによるウクライナ侵攻にいまだ終結の兆しが見えない中、今後ドイツや他のNATO加盟国がどのような役割を果たすべきなのか。私たちは重い課題を突きつけられているように感じます。

私は30年以上ドイツで生活していますが、このような状況下では欧州を生活の基盤とすること自体に、ためらいを覚えてしまう―それが正直な気持ちです。

1989年、冷戦終結とともにベルリンの壁が崩壊してから、私たちが享受してきた「平和」は、振り返ればわずか35年ほどにすぎません。その短い時間を経て、再び軍備強化へと向かう欧州の現実を前にすると、歴史から何を学んできたのかが、静かに、しかし確かに問い直されているように感じられてなりません。

出典・参照
ドイツ基本法(Grundgesetz)
第4条3項(良心的兵役拒否)
第12a条(兵役義務)
第87a条(連邦軍)

Bundeszentrale für politische Bildung (bpb). Wie funktioniert die Wehrpflicht?
Deutscher Bundestag. Aussetzung der allgemeinen Wehrpflicht beschlossen.
Tagesschau. Bundestag stimmt für neues Wehrpflichtgesetz.
Tagesschau. Bundesweite Schülerproteste gegen Wehrdienst.
Tagesschau. Dänemark warnt vor Ende der NATO
Zweites deutsches Fernsehen (ZDF). Wer hat Angst vor Donald Trump?

執筆者

希代 真理子(きたい・まりこ)

メディア・コーディネーター

1995年よりドイツ・ベルリン在住。フンボルト大学でロシア語学科を専攻した後、モスクワの医療クリニックでインターン。その後、ベルリンの映像制作会社に就職し、コーディネーターとして主に日本のテレビ番組の制作にかかわる。2014年よりフリーランスとして活動。メディアプロダクションに従事。2020年にAha!Comicsのメンバーとして、ドイツの現地小学校を対象に算数の学習コミックを制作。2023年3月に初の共著書『ベルリンを知るための52章』刊行(明石書店)。

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