EUのデジタル化トレンド、AAS・DPPを目撃せよ! ~ ハノーファーメッセ視察報告 ~
第4次産業革命 Industry 4.0
今年4月、世界最大級の産業技術見本市「ハノーファーメッセ」に足を運ぶ機会を得た。
「ハノーファーメッセ」と言えば、産業界の最前線で活躍する企業や研究機関が一堂に会し、新たなテクノロジーや製品を披露する絶好の機会であり、我々にとっては、最新テクノロジーの潮流を知ることのできるまたとない場でもある。
今回は特に、エネルギーでは水素技術が、IT関連では「インダストリー 4.0」の流れから「デジタルツイン」や「マニュファクチュアリングX」が大きなテーマとして掲げられていた。
2011年、ドイツ政府や産業団体が提唱したことに始まる第4次産業革命「インダストリー 4.0」は、10年以上の歳月を経て進化を遂げ、「マニュファクチュアリングX」、「デジタルツイン」といった新概念が大きく取り上げられるに至る。ひと言で言えば、製造業をデジタル化することにより、生産プロセスの自動化、効率化と、フレキシビリティの向上を達成しようとするものである。会場では、デジタル化を説く啓蒙に留まらず、さらなる普及に向けた具体的な取り組みが数多く見られた。
会場を訪れた筆者自身は、EU(欧州連合)が主導するデジタル化の枠組み「Digital Product Passport(DPP)」の推進、及びドイツが主導するデジタル化の枠組み「Administration Asset Shell(AAS)」の2つがひときわ熱いと感じた。実際、DPP、AASの掲示をそこかしこで目撃した。
EUデジタル化の推進
ドイツでは、たとえば重工業で繁栄したルール工業地帯などでは、中央政府や州が予算を投じてデジタル化を推し進め、競争力を高めようと躍起になっている。古くなった製造システムにメスを入れ、徹底した効率性の追求とコスト削減、生産性向上を果たすため、IT系企業と旧来の産業界との連携・協働を容易にする環境づくりが進められている。とりもなおさず、製造業界全体のデジタル化はEUの重要政策とも重なっており、トップダウンの命題ともなっている。
さまざまなブースに立ち寄ったが、デジタル化を謳う近未来的で多彩なソリューションに目を奪われた。しかし、一方で、「スマートファクトリー」や「デジタルツイン」の導入には莫大な投資が必要となることも事実で、事はそう簡単に運ぶわけではい。
「稼働中の工場にレトロフィットなかたちで導入することはできるのか?」といくつかのブース担当者に投げかけたところ、もっとも効率の悪いところを分析、抽出し、そこだけを置き換えることも可能だと答えてくれた担当者が何人もいた。どこから手をつけるべきか決めかねている企業にとっては、まずは部分的な置き換えから検討してみるのもよいかもしれない。
EUによりデジタル化の取り組み
ハノーファーメッセで披露されたデジタル化トレンドの全てを紹介することは難しい。
そうは言っても、EUによるデジタル化の包括的戦略を理解することはきわめて重要で、キーとなる2つの概念が「Administration Asset Shell(AAS)」、「Digital Product Passport(DPP)」と呼ばれるデジタル製品のパスポートであろう。
Administration Asset Shell(AAS)
「Administration Asset Shell(AAS)」は、「インダストリー 4.0」の文脈において提唱されたドイツ主導の規格で、物理的資産の「デジタルツイン」を生成するための枠組みを意味する。AASは、物理的な機械や装置のデジタルな表現を提供し、それらの運用、保守、管理を効率化するための情報を統合する。本メッセでは、AASをテーマとするツアーが企画されるほどの盛況ぶりだった。
製造業界全体をデジタル化するためにはまず、情報を一元化しなければならない。AASはさまざまな情報を統合し、一元管理することにより、運用、保守の効率化に貢献する。また、異なるシステムやプラットフォーム間の情報共有を容易にし、シームレスな連携を可能にする。
ドイツのIT企業SAPは、AASによって製品部品一つひとつの情報を共有し、アプリを介して必要な部品を瞬時にオーダーできるソリューションを紹介していた。AASの採用により、企業は資産のライフサイクル全体を通して効率的に管理することができるようになるわけだ。
そしてもう一つ、ひときわ目を惹くブースがあった。ホールのほぼ全域を占める巨大なブースで、Siemens(ジーメンス)が構えていたものだった。さまざまな分野で先駆的な取り組みを展開するジーメンスブースは、連日人で溢れていた。同社はデジタル化とAASの導入に積極的で、製造プロセスのデジタル化を通じて生産ラインの効率化とダウンタイム削減に資するソリューションをいくつも提案していた。
筆者の目に留まったのはスマート農業(Vertical Farming)で、「スマートファクトリー」の一例として紹介されていたものである。水使用量を80%削減し、提携関係にある蘭フィリップス社のLEDライトを用いて、土壌を使わず工場内で野菜を栽培する都市型農業の好例だった。
日本の場合、「経費の削減」といった企業にとってのメリットを前面に出し、アピールする傾向が強いと思うが、欧州の場合、そうではない。欧州ではまず「サステナビリティ」、すなわち、地球環境への配慮を前面に打ち出すケースが実に多く、「ハノーファーメッセ」もまた例外ではなかった。
シームレスな生産プロセスのデジタル化には、多くの企業から供される部品や製品が必要となることから、AASが採用されることは半ば必然とならざるを得ない。
デジタル化は、産業界全体の価値を高め、競争力を強化するための鍵であり、AASはその実現を支援するきわめて重要なツールと言うことができるのである。
Digital Product Passport(DPP)
2つ目の重要な概念は「Digital Product Passport(DPP)」(デジタル製品パスポート)である。
DPPとは、製品のライフサイクル全体を通してデジタル情報を一元管理する仕組みで、設計から生産、構成材料、原産国、使用履歴やリサイクルといったすべてのフェーズのデータが統合されたものである。DPPによって、製品に関わる透明性が向上し、サステナビリティやエコシステムの推進に資することとなるのだ。
電池については2024年以降、DPPに先駆けてEUバッテリー規制が段階的に義務づけられることとなっているが、対象となる情報には、原産国での採掘にあたって児童労働などの人権侵害がないかといったものまで含まれるほど細部にわたる。
今後、DPPの普及が進めば、サプライチェーン全体のトレーサビリティが可能となり、ライフサイクル全体の情報が可視化されることとなる。たんにリサイクル率の向上に繋がるだけでなく、製品の製造過程に関わるすべての人々の人権までも保証するという、いかにも欧州らしい特長を有している。
AAS・DPPから学ぶこと
我々はビジネス上、どうしても企業の利益を優先的に考えてしまいがちだ。しかし、ここでいったん立ち止まってロングビジョンを描き、いまこの瞬間は何を成すべきか、ひとつひとつステップを踏みながら政策を実行するという風潮が欧州にはある。
ドイツの都市計画を見てもわかるように、利便性や経済性を担保しつつ、都市全体の街並みを保存し、持続できるよう政策を立てている。結果、都市全体の価値が高揚し、得られた豊かさが住民にも還元される。
目先の利益にばかりとらわれず、長期的で利他的な視点を持ち合わせることによってこそ、真の意味でのサスティナブルな社会が具現化されるのではないだろうか。
吉澤 寿子(よしざわ・ひさこ)
CEO, Researching Plus GmbH
株式会社ジェイシーズ マーケティングコンサルタント(ドイツ)
早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員。 2007年渡独。デュッセルドルフ大学現代日本研究所博士課程に在籍し、研究を重ねるかたわらResearching Plus GmbHを設立。日本企業のドイツ進出、市場調査、視察・研修等に携わっている。お茶の水女子大学人間文化研究科修士課程修了。
Researching Plus GmbH: https://researchingplus.com
連絡先:h-yoshizawa@j-seeds.jp