静かに進む気候崩壊:欧州連合の気候変動政策とドイツ国内における具体策
前回の記事でも触れましたが、近年、欧州では洪水や森林火災などの異常気象が頻発し、気候変動による影響は私たちの日常生活に直結する課題となっています。こうした中、欧州連合(EU)は2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、カーボンニュートラルを目指し、温室効果ガス削減に向けたさまざまな政策を打ち出しています。
しかし、他の施策同様に、EUが方針を決定しても実際の制度化については各加盟国に委ねられています。今回は、気候変動政策についてEUレベルでの主要政策を俯瞰し、その上で、EU加盟国の一つであるドイツ国内でどのような具体策が進められているのかを整理したいと思います。
EUレベルの主要政策
まずは、EU全体としてどのような気候変動政策を設定しているのかを簡単にご紹介します。EUは「欧州グリーン・ディール」を軸に、2030年・2040年・2050年と段階的な目標を設定し、法的拘束力を持つ制度を次々と導入しています。代表的な施策は以下の通りです。
政策名 | 政策名 | 主な目標 | 市民・産業への影響 |
---|---|---|---|
欧州グリーン・ディール | 2020 | 2050年までにカーボンニュートラル達成 | 各国で再エネ導入・省エネ対策を強化 |
Fit for 55 | 2021 | 2030年までに温室効果ガス55%削減 | EV普及、暖房効率化、輸送・産業の規制強化 |
CBAM(炭素国境調整メカニズム) | 2026本格施行 | 「Fit for 55」の一環、高炭素製品輸入時にEU域内と同等の炭素コスト課税 | 鉄鋼やセメントなど一部製品の価格上昇 |
リパワーEU | 2022 | ロシア産化石燃料依存からの脱却計画 | ヒートポンプや太陽光パネル導入補助拡大 |
自然再生法 | 2024 | EUの陸・海域の回復(2030年までに20%以上)、2050年までに必要性のある生態系について回復させる | 農業・林業へ影響、EU資金による支援策あり |
2040年目標案 | 提案中 | 2040年までに1990年比で90%削減 | Fit for 55よりさらに厳しい削減基準を検討中 |
一見するとEUは非常に厳しい目標を設定して、加盟国が一丸となって取り組んでいると思われるかもしれません。しかし、90%減という2040年目標案については、無条件での賛成はスペインなど一部の加盟国に限られ、ドイツなどの多くの加盟国は域外カーボンクレジットの活用などの条件付きで賛成しており、EU内でもなかなか足並みが揃わないようです。CBAM規則の見直しなど、一部の政策については緩和されることもあるようです。
ドイツ国内の気候変動政策
続いて、ドイツではEU指令や方針を受けて、どのような政策をとっているのでしょうか。
- 1. 気候保護法(Klimaschutzgesetz)
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2019年に発効した気候保護法は、ドイツの気候変動政策の基本となる法律です。2024年の改正法案によると、2030年までに1990年比で温室効果ガス排出量を65%削減(従来は55%)する新たな中間目標を設定しています。さらに、2040年までに88%削減し、2045年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロにすることを掲げています。この目標達成のため、エネルギー、産業、建築物、交通、農業、廃棄物処理の各分野の削減目標が新たに設定されます。特に大きな削減を求められているのはエネルギー産業です。
- 2. 気候保護プログラム2030(Klimaschutzprogramm 2030)
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EUの「Fit for 55」に対応する形で策定されたドイツの国家戦略です。主な柱は次のとおりです。
- 住宅・建築分野:断熱改修の義務化、再エネ暖房システムへの補助
- 暖房エネルギー:ヒートポンプ普及を促進(2025年前半は販売台数が前年同期比55%増)
- 輸送分野:ガソリン車からEVへの移行推進、充電インフラ整備計画
- エネルギー分野:電力の少なくとも80%を再生可能エネルギーで賄うことを目標とする
市民にとっては住宅改修や車の買い替え負担が増す一方で、補助金や税制優遇措置も拡充されています。

政策の課題と実施上の弊害
EUおよびドイツ国内で気候政策は急速に整備されていますが、その一方でいくつかの課題や弊害も浮き彫りになっています。大きく分けると、制度設計の複雑さ・費用負担・社会的合意形成の遅れなどが挙げられます。
- 規制・補助金の複雑さ → 実務負担増大、政策浸透が遅れる
- 費用負担の偏在 → 社会的格差や住宅コスト増大
- 産業界への圧力 → 競争力低下・中小企業の経営リスク
- 政治的コンセンサスの欠如 → 実施遅延・市民の不信感増大
ドイツでは建物エネルギー法(Gebäudeenergiegesetz, GEG)を例にとると、2024年に改正された新しい建築法では、新築住宅での再生可能エネルギー利用が事実上義務化されました。具体的には、暖房設備の65%以上を再生可能エネルギーで賄う必要があります。この影響で、ヒートポンプやソーラーパネルの需要は急増していますが、一方で「設置費用が高すぎる」「補助金申請が複雑」「銀行からの貸付も容易に得られない」といった不満の声も聞かれます。賃貸物件に関してはこれらの費用は大家が負担することになるため、ドイツの法律上家賃を容易に上げられないにもかかわらず、大家の懐が痛むのみであるという声を耳にしました。
電気自動車(EV)関連でも同じような声が聞かれます。BEV(バッテリー型電気自動車)の需要が統計上増えているように見えるものの、実際にはメーカーやディーラーによる自主登録などの戦略的な施策の結果であることが多く、真の顧客需要の結果ではないようです。一般市民からは「物価高で車の買い替えどころではない」という声もあります。
これらの課題をクリアしなければ、EUやドイツが掲げる2045年・2050年の気候中立目標の達成は難しいと言わざるを得ません。不安定な世界情勢やドイツ国内の経済停滞やインフレ事情なども伴い、舵取りの非常に困難な状況は今後も続きそうです。
とはいえ、気候変動はEUにとどまらず、世界規模で避けては通れない重要なテーマであるため、国や企業の関心は非常に高まっています。みなさんの会社の技術や製品も、今後、新たなニーズに応えられる可能性を秘めているかもしれません。引き続き気候変動関連の施策に注目し、必要に応じて柔軟に対応できる体制を整えておくことをおすすめします。
出典・参照
ジェトロ(日本貿易振興機構). 欧州委、ロシア産化石燃料依存からの脱却計画「リパワーEU」の詳細発表
ジェトロ(日本貿易振興機構). EU炭素国境調整メカニズム(CBAM)の解説(基礎編)(2024年2月)
ジェトロ(日本貿易振興機構). 欧州委、2040年の温室効果ガス排出削減目標を1990年比で90%減とする法案を発表
ジェトロ(日本貿易振興機構). EU、CBAM規則の簡素化案で政治合意、目標は維持しつつ負担軽減
Deutscher Bundestag. Bundestag verschärft das Klimaschutzgesetz
Europäischer Rat. „Fit für 55“Die Bundesregierung. Für mehr klimafreundliche Heizungen
Die Welt. Wärmepumpen-Förderung laut Ministerium gesichert
Zentralverband Deutsches Kraftfahrzeuggewerbe e. V. Kfz-Gewerbe warnt: Eigenzulassungen täuschen über E-Auto-Flaute hinweg
希代 真理子(きたい・まりこ)
メディア・コーディネーター
1995年よりドイツ・ベルリン在住。フンボルト大学でロシア語学科を専攻した後、モスクワの医療クリニックでインターン。その後、ベルリンの映像制作会社に就職し、コーディネーターとして主に日本のテレビ番組の制作にかかわる。2014年よりフリーランスとして活動。メディアプロダクションに従事。2020年にAha!Comicsのメンバーとして、ドイツの現地小学校を対象に算数の学習コミックを制作。2023年3月に初の共著書『ベルリンを知るための52章』刊行(明石書店)。