アメリカの不法移民摘発がアメリカ社会に与える影響

前回の記事「アメリカの不法移民は「招かざる客」か「必要不可欠な人材」か?」で、アメリカで現在進行中のICE(U.S. Immigration and Customs Enforcement, アメリカ合衆国移民・関税執行局)による不法移民検挙の現状についてお伝えしました。ICEによる不法移民摘発強化により、アメリカでは現在、特に建設業、農業、ホスピタリティ産業のセクターが大きな影響を受け、各地で業務が停滞するなどの事態が生じ始めています。前号に続き、アメリカの不法移民摘発によるアメリカ社会への影響についてお伝えします。
大炎上した「時給11ドルの農場作業員」の募集広告
トランプ大統領の指示を受けたICEが米国内の不法移民の摘発強化を始めた今年2025年4月、Facebookに以下のような人材募集広告が投稿されました。
農場作業員(収穫作業員)募集
時給11ドル
一日の労働時間9時間から10時間
勤務日月曜日から日曜日までの休みなし
労働期間2025年5月から7月まで
ルイジアナ州ローレンジャーのブルーベリー農場が投稿したとされるこの人材募集広告は、FacebookからInstagramやXなどの他のソーシャルメディアへ飛び火し、賛否両論を巻き起こす大炎上ポストとなりました。火元のFacebookにはコメントが殺到し、「ルイジアナの厳しい夏の炎天下で一日10時間も働かされるのか」「時給11ドルだなんて、ふざけすぎている」「期間限定労働とはいえ、休日ゼロで働くのか」等々、過酷な労働条件を非難する声で溢れました。
ICEの摘発強化により、農場で働いていた不法移民労働者が摘発を恐れて出勤を拒否するなどし始めたため、労働者不足が深刻になった農場主が投稿したと思われる求人広告ですが、皮肉にも「普通のアメリカ人」による大反発を招いてしまったのです。この事例は、アメリカの農業の末端の現場においては不法移民が「必要不可欠な人材」となっており、普通のアメリカ人では代替不可能であるという事実を改めて世に知らしめることになったのです。

ICEによる摘発の影響で建設工事も中断
ICEによる摘発の影響で、各地の建設工事も中断を余儀なくされ始めています。ネブラスカ州のある大規模住宅建設現場では、ICEによる摘発を恐れた不法移民労働者の欠勤が相次いでいることに加えて、労働者の家族や親族・友人などがICEに逮捕されたといった事件が続出し、その対応を余儀なくされた労働者がやむなく欠勤しているそうです。そのため建設工事は軒並み中止され、建設現場全体が巨大な「ゴーストタウン」のようになってしまったところも出現し始めています。
ある現場監督は、月曜日の朝になると携帯電話に従業員から「家族が逮捕されたので、対応をしなければならない」といった電話が「爆発するように」かかってき始めるのでまったく仕事にならないと嘆いています。

食肉工場も労働力不足で稼働率低下
同じくネブラスカ州で営業しているある食肉加工工場も、ICEによる摘発を恐れた従業員の欠勤により工場の稼働率低下や操業停止などの影響が出始めています。同社社長がロイターに語ったところによると、従業員の欠勤が相次いだ結果、工場労働力が30%に低下し、製造能力が20%程度にまで落ち込んでいるそうです。
同社は主にネブラスカ州内のスーパーマーケットやレストランに牛肉や豚肉などを供給していますが、このまま稼働状況が低い状況が続けば、「いずれは価格の上昇や供給不足の慢性化といった影響が避けられなくなるかもしれない」と自社のInstagramで呟いています。労働力不足によるサプライチェーンの停滞は、最終的には消費者価格の上昇という目に見える形で消費者に影響を与えることになるでしょう。

「犯罪者の不法移民の摘発を強化」とは言うものの
不法移民の摘発により生じた労働力不足が全米各地で各種の問題を引き起こし始めた現状を見て、トランプ大統領は、農場、ホテル、レストラン、食肉加工場などで働く労働者に対する摘発を「中断」(Pause)する大統領令に署名し、今後は不法移民の中でも重罪犯や人身売買などの犯罪者に特にターゲットを絞る旨を公言しました。しかし、摘発中断の発表がされてから一カ月が経過した今も、農場や建設工事現場などで働く不法移民労働者のICEによる摘発は続いており、その勢いがおさまる兆しを見せていません。
現在のアメリカは、トランプ大統領が発動した世界各国に対する関税の影響により、消費者物価が上昇を開始する局面を迎えています。トランプ関税は、今後のアメリカ経済と社会における「巨大な時限爆弾」のようなインパクトを与える可能性が大ですが、それとは別に、不法移民労働者の摘発とそれによる消費者物価の上昇という、物価上昇のもう一つの別のドライバーが今まさに起動しつつあります。低賃金で過酷な労働条件で働く不法移民労働者を駆逐することで、アメリカの一般消費者がさらなる価格高騰に苦しむ構造が着実に築かれつつあるのです。「トランプ関税」と「不法移民問題」というふたつの大きな問題が、最終的にトランプ大統領の首を絞めることにならないよう切に祈る次第です。
前田 健二(まえだ・けんじ)
上席執行役員
シニアマーケティングコンサルタント(北米統括)
大学卒業と同時に渡米し、ロサンゼルスで外食ビジネスを立ち上げる。帰国後は複数のベンチャー企業のスタートアップ、経営に携わり、2001年に経営コンサルタントとして独立。事業再生、新規事業立上げ、アメリカ市場開拓などを中心に指導を行っている。アメリカ在住通算七年で、現在も現地の最新情報を取得し、各種メディアなどで発信している。米国でベストセラーとなった名著『インバウンドマーケティング』(すばる舎リンケージ)の翻訳者。明治学院大学経済学部経営学科博士課程修了、経営学修士。