ドイツの新首相・フリードリヒ・メルツの人物像と評価の分かれ目
CDUのフリードリヒ・メルツは5月6日に行われた連邦議会における首相選出のための投票において、「なんとか」当選を果たすことができました。造反が相次いだことにより、異例の2回目の投票での当選となりました。指名された首相が連邦議会の1回目の投票で落選するのは前例がありません。政治学者のアルブレヒト・フォンリュッケは、このプロセスは首相指名と連立協定の共同責任者であるSPDのラース・クリングバイル副議長に対する不信任投票とみなすべきだと述べています。
新政権の成立はこうして出だしから大きくつまずく形になってしまいました。メルツは、前々首相のメルケルとは同じCDU/CSU政党内でも、2000年初頭から「政敵」ともいえる立場を取ってきました。今回はドイツの新首相に就任したフリードリヒ・メルツの人物像と評価の分かれ目について考えてみたいと思います。
エリート政治家という印象と国民との距離感
メルツは法学を学び、弁護士としてのキャリアを積んだあと、1989年に欧州議会議員として政界入りしました。1994年から2009年まで連邦議会議員を務め、2000年から2002年にはCDU/CSU連邦議会議員団長を務めました。その後、一時政界を離れ、2005年から2021年まで世界最大の資産運用会社であるブラックロックのドイツ法人で監査役会長を務めるなど、典型的なエリート道を歩んできました。
実際、彼はブリュッセルへの通勤にプライベートジェットを使っていたことを公言しており、これが「庶民の感覚からかけ離れている」と反感を買う一因にもなっています。また、インタビューや討論での発言スタイルは論理的で洗練されている反面、親しみやすさに欠けるとの印象を持たれがちです。
制限的あるいは選別的な移民政策
メルツは「移民は制御可能であるべき」と主張しており、「移民の国ドイツ」というビジョンには距離を置いています。また、ドイツの主導的文化(Leitkultur)に同調すべきという考えで、多文化主義には批判的です。

2023年には移民の子どもに対して差別的な表現にあたる「小さなパシャ(王様)」という表現を用いたことから、世論の批判を浴びました。こういった政治家として配慮に欠ける不適切な発言が多いのもメルツの特徴といえるでしょう。ただし、メルツの暴言に対して教員会は「移民統合の問題がある」と、教員と移民背景をもつ保護者の間でたびたび起こる摩擦や、移民背景を持つ子どもたちの基礎ドイツ語力の必要性など、教育現場で実際に起こっている問題について言及していたのが印象的でした。
メルケル政権への継続的な批判
メルツは2000年代初頭のCDUの中心人物のひとりで、連邦議会の議会議長でした。献金疑惑でヘルムート・コールが辞任した2000年以降、メルケル氏がCDU委員長を務めていました。ふたりの間には、党の政治的方向性と指導的役割をめぐって権力闘争が展開されました。
2002年にメルケルの圧力により、メルツは議会議長職の座を彼女に譲ることになります。これが決定的な転機となり、メルツは影響力を大きく失うことになります。さらに、2004年にメルツは政界のトップから完全に身を引く形にもなりました。
このような過去の確執もあってか、メルツはメルケル政権の中道路線や移民政策にたびたび批判的な姿勢を見せてきました。これにより、メルケル時代の穏健派支持者からは距離を置かれています。政権交代後も、彼の言動は「党内の対立を煽るもの」として受け止められることが度々あり、今回の首相指名の際に露呈したように、長期的な党の結束という観点では大きな課題が残されています。
極右政党AfDとの関係性
総選挙前にも注目を集めた極右政党AfDとの関係性をめぐる「防火壁(Brandmauer)」の維持が大きな論点となりました。メルツは移民政策の強化を目的とした法案を連邦議会に提出する際に「誰が賛成するかに関わらず、自らの信念に基づいて行動する」と述べ、AfDの賛成を排除しない姿勢を示しました。これに対し、SPDや緑の党からは「防火壁」の崩壊だ、との批判が相次ぎました。その後、メルツは「AfDとは一切、協力を行わない」と明言しましたが、メルツの一貫しない態度は党内外での信頼性やリーダーシップに対する評価に大きな影響を与えることとなりました。

このように、メルツはドイツ政界において企業側には賛同者が多い改革者であるのと同時に、多くの国民からは保守派の象徴として捉えられている部分があります。彼の不人気の背景には、その人柄や言動の受け止められ方という、感覚的な要素も大きく関係しているように思えます。
また、極右政党AfDとの距離感も国民と企業の双方から厳しく問われるテーマとなるでしょう。世界中で進行する右傾化やポピュリズムに安易に擦り寄らず、理性と責任を伴った保守の道をどう提示していくのかが、今後のドイツ政治の安定性を左右するのではないでしょうか。
出典・参照
Rbb24 Politologe über „fundamentalen Tiefschlag“ gegen Merz
DW Comeback-Versuch des Merkel-Kritikers Merz
Focus Lehrerverband zu Merz-Tirade: „Wir haben ein Integrationsproblem“
希代 真理子(きたい・まりこ)
メディア・コーディネーター
1995年よりドイツ・ベルリン在住。フンボルト大学でロシア語学科を専攻した後、モスクワの医療クリニックでインターン。その後、ベルリンの映像制作会社に就職し、コーディネーターとして主に日本のテレビ番組の制作にかかわる。2014年よりフリーランスとして活動。メディアプロダクションに従事。2020年にAha!Comicsのメンバーとして、ドイツの現地小学校を対象に算数の学習コミックを制作。2023年3月に初の共著書『ベルリンを知るための52章』刊行(明石書店)。