ドイツ半導体市場の最新動向
半導体チップ不足による生産調整
2021年春、筆者はドイツのとある自動車部品工場で、日本企業の立ち上げプロジェクトに張りついていた。この工場は自動車向けの加工部品を生産しているメーカーで、最大のお客様はダイムラーである。ある日、通称ダイムラーホールの加工ラインが一斉に止まった。普段ならすし詰め状態の加工機が立てる騒音で耳栓は必須アイテム、喋る時はほぼ叫んでいるような環境なのに、水を打ったような静けさだ。この日から約2週間にわたり、全ラインが止まったままだった。
理由は、半導体部品が不足したことにより、エンドの自動車会社が組み立てを続けられなくなったため、その他、加工部品の引きがなくなってしまったことだった。本来、半導体とは全く無縁のはずの加工屋がとばっちりを受けた格好だった。さらに携帯電話などエレクトロニクスと自動車の業界間で、半導体チップの争奪戦もあったらしい。日頃から薄利の自動車業界は、この品薄状態でも高値で半導体チップを買い取ることができない。業界間の争いにも敗れ、自動車業界には半導体部品が全く回ってこなくなってしまったのである。
この頃、どこの自動車メーカーも長期的な生産の調整を余儀なくされていた。バーデンヴュルテンベルク州、ジンデルフィンゲンのメルセデスベンツ工場や、ネッカーズウルムのアウディ工場で大幅な生産調整が行われた。上述のアウディ工場では1万人の従業員が2021年の夏休みを延長し、さらに時短勤務を余儀なくされた。発注はパンパンなのに、部品がないので自動車が組めない。アウディでは2021年前半だけで、約5万台の生産が計画よりマイナスし、e-tron GTやQ4モデルは納車待ちが1年を超えた。
ドイツの半導体市場
現代の自動車は半導体を抜きにして考えることはできない。この10年間で、自動車に搭載されるチップと、それに必要な半導体は爆発的に増えている。これがなければ、複雑な駆動系の制御ユニットや運転支援システムは機能しない。半導体部品は駆動や運転からエアバッグの作動に至るまで、クルマのすべてを制御している。平均的な自動車には、約100個の半導体部品が使われている。
自動車だけでなくあらゆる製品のデジタル化で、世界中、どの分野でも半導体需要は伸びている。世界半導体貿易統計(WSTS)によると、2021年の世界半導体市場売上高は5,560億ドル、2020年から26.2%増、2022年はさらに10.4%の成長が見込まれ、6,000億ドルの大台を突破することが確実視されている。
ドイツ電気電子工業会(ZVEI)によれば、2021年、欧州全体の半導体市場は20%増加し、最大で400億ユーロに達した。ドイツのみに絞って見ても約20%増の123億ユーロと、非常に高い成長率となっている。アプリケーションの特徴として欧州、特にドイツでは自動車用半導体部品の需要が高い。世界市場でみると、自動車用の半導体部品が全半導体部品に占める割合は10.6%だが、欧州を含むEMEA圏内ではこの割合が35%にまで達する。
しかしながら、欧州の半導体産業のポジションは世界トップとは言い難い。米国が世界の売上の約半分を握っているのに対し、欧州は全体で10%未満である。
2009年以降、半導体を含むマイクロ/ナノエレクトロニクス分野は、欧州委員会が将来の競争力を維持する上で重要であると考える6つのKET(Key Enabling Technology)に指定されている。特に2018年からは「マイクロエレクトロニクスに関する欧州共通の重要プロジェクト(IPCEIプロジェクト)」が立ち上がっており、半導体分野には戦略的な投資が行われている。欧州委員会の目標は、世界の半導体生産に占める欧州のシェアを現在の10%から2030年までに20%に引き上げることであり、10ナノメートル以下のチップの生産拠点を持つことである。
ドイツ国内のプレーヤーを見てみよう。トップ3半導体メーカーは、2019年の実績で、1位がミュンヘン近郊のノイビーベルクにあるインフィニオン・テクノロジーズ(売上80億ユーロ)、2位がオーバーコッヘンにあり、光学機器メーカーカールツァイスの半導体部門であるカールツァイスSMT(売上16億ユーロ)、3位がミュンヘンのシルトロニック(売上13億ユーロ)である。いずれもバイエルン州、バーデン・ヴュルテンベルク州と南側に集中している。さらに、ドイツの半導体産業で忘れてはならない都市がある。ドイツ東部ザクセン州のドレスデン市である。この地はシリコンバレーに倣い「シリコンサクソニー」を自称し、半導体関係の製造者、研究所の誘致を積極的に行なってきた。
結果、現在では欧州最大、世界でもトップ5に入る半導体産業の集積地となっている。今や欧州で生産される半導体チップの3分の1までがメイド・イン・サクソニーだ。インフィニオン、シルトロニックがそれぞれ製造拠点を置くほか、グローバル・ファウンドリーズが日本のトッパン・フォトマスクと立ち上げたベンチャー企業、アドバンスド・マスク・テクノロジーセンター(フォトマスクの開発、製造)や、日本の東京エレクトロンが欧州支社をドレスデン市に置いている。ザクセン州では半導体関連企業が約2,300社、約6万人が従事しており、昨年は約165億ユーロの収益を上げた。
最新の投資状況
半導体部品の需要は今後もさらに拡大すると見られており、安定した供給を実現するため、関連各社は大規模な投資による生産キャパの増強を急いでいる。自国内、もっと言えば自社内での自給自足ができなければ、再び部品不足に陥ることは目に見えているからだ。
自動車部品メーカーのボッシュは2021年、ドレスデン市に300mmウェーハ用の新工場Robert Bosch Semiconductor Manufacturing Dresdenをオープンした。新工場の総工費は約10億ユーロで、最大の単独投資としてはボッシュグループ始まって以来の規模ということで話題を呼んだ。同社は2022年も引き続き半導体部門への投資を決めており、さらに4億ユーロをかけてドレスデン工場を拡張する他、ドイツ西南部ロイトリンゲン市に4,000平米規模のクリーンルームを備える新工場をオープンさせる予定である(2023年稼働予定)。カールツァイスグループも、約3億ユーロをかけてイエナ工場(チューリンゲン州)をリニューアルし、2023年までの新工場移転を目指している。ボッシュもカールツァイスも、これらの半導体部品は自社消費用だ。ドイツの老舗インフィニオンも負けてはいない。今年2月に20億ユーロをかけて、マレーシアに新工場を建設することを発表した。
さらに今年3月、ドイツに朗報がもたらされた。
米国インテルが半導体チップのギガファクトリーをドイツ北東部のマグデブルク市に建設することを正式に決めたのだ。すでに知名度のあるドレスデン他、欧州70箇所の候補地を押さえての決定だ。インテルはEU域内において、第一段階で330億ユーロ、長期的には最大800億ユーロの投資を計画しており、そのうち170億ユーロを先行してマクデブルクに投資する。この投資のインパクトがどれほどのものか想像できるだろうか。日本円なら優に2兆円を越える投資だ。過去数十年を振り返ってもドイツでは例を見ない額である。直近で最も大きな外国企業の誘致と言われたテスラ社のギガファクトリーですら56億ユーロ規模だった。当然ながら、同工場は欧州最大のチップ工場になる予定で、合計で約1万人の新規雇用を生み出し、建設段階から7,000人の雇用を生み出す。
もちろん、この土地が選ばれたのには理由がある。マグデブルク市は今年オープンしたばかりのテスラ社のギガファクトリーとフォルクスワーゲングループ本社のあるヴォルフスブルクのちょうど中間あたりに位置する。アウトバーンを使えば、テスラ社には1時間半、フォルクスワーゲンには1時間以内にものを届けることができる。マグデブルク市はザクセン・アンハルト州の首都でありながら、例えば、同じく州都のミュンヘン市やデュッセルドルフ市に比べて人件費、土地代ともに安く、運営的にも恵まれた立地であるといえる。問題は半導体工場の建設には時間がかることだ。インテル社は2023年前半にも着工を予定しているが、生産開始は2027年となる。
終わりに
Wenn Volkswagen niest, dann hat Wolfsburg die Grippe.
「フォルクスワーゲンがくしゃみをすると、ヴォルフスブルクが風邪を引く」
これはフォルクスワーゲンのお膝元であるヴォルフスブルク市がいかに同社の業績に依存しているかを例えた言葉だが、今回はこれが全ての自動車メーカーで起こってしまった。半導体チップに限らず、材料、部品の供給不足は今なお続いている。今のところ、消費者の購買意欲が削がれていないのが救いだが、ここ数ヶ月のインフレ状況から、今後、消費傾向が変われば、本当の不況が訪れるかもしれない。あるいはロシアガスの供給が停止し、再び製造ができなくなるシナリオもいまだ現実味を帯びている。自動車業界が次の大きなくしゃみをするのはいつなのか、ドイツは戦々恐々としている。
出典など
・ドイツ電気電子工業会ZVEI(2021) „Semiconductor Strategy. For Germany and Europe.“ (ドイツと欧州における半導体ストラテジー)
https://www.zvei.org/fileadmin/user_upload/Presse_und_Medien/Publikationen/2021/November/Halbleiterindustrie_fuer_Deutschland_und_Europa/Semiconductor-Strategy-for-Germany-and-Europe.pdf・Bosch Factsheet 2021/05/21 „Fakten, Statistiken und Unglaubliches zu Halbleitern“(半導体に関するデーター、統計、信じられないこと)
https://www.bosch-presse.de/pressportal/de/de/wussten-sie-schon-dass…-229445.html・Robert Bosch Semiconductor Manufacturing URL
https://www.bosch-semiconductors.com/about-us/・世界半導体貿易統計(WSTS)URL
https://www.wsts.org/76/Recent-News-Release・Listen Champion 2021/11/05 „Liste der 3 größten Halbleiter-Unternehmen in Deutschland“ (ドイツ半導体企業トップ3社)
https://www.listenchampion.de/2021/11/05/liste-der-3-groessten-halbleiter-unternehmen-in-deutschland/・インフィニオン社プレスリリース2022/02/17 “Infineon doubles down on wide bandgap by investing more than €2 billion in a new Kulim, Malaysia frontend fab to expand market leadership in power semiconductors” (インフィニオンはパワー半導体市場でのリーダーシップを拡大するため、マレーシアのクリム工場に20億ユーロ以上を投資し、ワイドバンドギャップを倍増)
https://www.infineon.com/cms/en/about-infineon/press/press-releases/2022/INFXX202202-053.html・mdr Online 2022/03/16 „Chiphersteller Intel baut Giga-Fabrik in Magdeburg“ (チップ製造者インテル、ギガファクトリーをマグデブルクに建設)
https://www.mdr.de/nachrichten/sachsen-anhalt/magdeburg/magdeburg/intel-chip-fabrik-eulenberg-arbeitsplaetze-100.html
三宅 洋子(みやけ・ようこ)
CEO, Miyake Research & Communication GmbH
留学生として渡独し、学業のかたわらドイツ語通訳者としてのキャリアをスタートする。
2008年頃より日本の官公庁、企業向けに海外調査を開始。主にドイツの政策制度、イノベーションに関わる調査を担当。2015年、Miyake Research & Communication GmbHをベルリンに設立。ハノーヴァー大学哲学部ドイツ語学科博士課程修了(Dr. Phil.)。
Miyake Research & Communication GmbH:https://miyakerc.de
連絡先:y-miyake@j-seeds.jp