ベルリンの壁の崩壊と心の壁〜分断と共生について

ベルリンの壁崩壊から今年で36年が経ちます。冷戦の収束に伴って東欧の民主化の波が広がり、世界のこれまでの均衡が大きく変動しました。私たちはここ数十年、束の間の平和を享受してきましたが、現状を見つめると、物質的な壁の崩壊とは裏腹に、人々の心の中に新たな壁が築かれているように思えてなりません。

今回はベルリンの壁崩壊と統一後のドイツについて考えてみたいと思います。

崩れたのは壁か、それとも均衡か

1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊しました。当時、日本でその映像を見た私はまだ高校生でしたが、遠い地で歴史的な転換期を迎えていることが、人々の高揚した表情から伝わってきました。壁崩壊直後のベルリンは、まるで未来への希望に満ちているように見えました。

しかしその後、旧東ドイツの人々は厳しい現実に直面します。これまでの価値観や社会の枠組みが急速に変化し、社会的立場や職を失う人々が続出しました。「こんなはずではなかった」と、自らが勝ち取った「自由」に伴う痛みや不安が大きく立ちはだかったのです。

一方、旧西ドイツ側の人々にとっても、統一コストを賄うための「連帯税(Solidaritätszuschlag)」の導入は重い負担でした。「自分たちの税金が東側につぎ込まれている」という不満が、静かな反発を生み出したのです。

このように、急速に進められた東西統一のプロセスには多くの痛みが伴い、壁の崩壊とともに、長く保たれていた一種の均衡も失われることになりました。

イーストサイドギャラリー
イーストサイドギャラリー(筆者撮影)

自由の中で生まれた新しい境界線

旧東ドイツが西側の市場経済や自由競争という新しい枠組みの中に組み込まれたことで、東西格差が生まれました。旧東独地域では多くの失業者が生まれ、若者の流出が進みました。突如として新しい社会に放り込まれた人々は、これまでの生活基盤とアイデンティティを同時に失ったのです。
毎週のように平和的なデモを行い「自由」を勝ち取ったはずの人々が、皮肉にもその自由の中で生きにくさを感じるようになっていきました。

一方、「統一の勝者」と呼ばれた旧西ドイツ側にも変化がありました。経済的な余裕を背景に東側を支援する立場にあったものの、統一が進むにつれ、その負担の重さや価値観の違いに戸惑う人も少なくありませんでした。長く安定を保ってきた西独社会の秩序が揺らぎ、誰もが知らぬ間に、新たな競争と不安の渦に巻き込まれていったのです。

政治不信とコロナ後の社会

旧東ドイツでは、長年の体制下で育まれた「上への不信感」が今も根強く残っています。「自分たちの声は届かない」という感覚は、統一後も完全には消えませんでした。その影響は政治にも現れ、新興極右政党の「ドイツのための選択肢(AfD)」は旧東ドイツの州で特に議席を伸ばしています。

さらにコロナ禍では、政府の対応をめぐる不信が再び表面化しました。旧西ドイツの70%以上の人々が2回目のワクチン接種を完了していた時期に、旧東ドイツの多くの州でワクチン接種率が60%前後にとどまっていました。マスク着用やワクチン接種をめぐる国家介入への抵抗、そしてSNSや代替メディアの拡散によって、“もう一つの真実”を信じる人々が増えていきました。結果として、社会の中で対話よりも分断が先行し、「誰を信じてよいのか」という問いが再び人々の間に重くのしかかっています。

共生への模索

コロナ禍に続くロシアのウクライナ侵攻や、気候変動に伴うインフレの影響もあり、最近ベルリンでもホームレスの数が増えているように感じます。「持つ者」と「持たざる者」の分断ばかりが目につく中で、先日ある日本のテレビ番組の撮影を行った際に、そんな状況にも負けず地道に活動を続けるNGOを取材する機会がありました。

本来のベルリンの良さである寛容性が薄れつつある中で、それでも流れに逆らいながら、「居場所づくり」や「共生できる場」を生み出そうとする市民の姿には、深い希望を感じました。多様性や共存という言葉は耳に心地よいものの、実際にはそれを形にすることは容易ではありません。

「ベルリンに来たばかりの人でも、長く住んでいる人でも関係ありません。誰にとっても、自分を受け入れてくれる場所が必要なんです」―NGO運営者のその言葉を聞き、日々の暮らしの中でお互いに声をかけ合う気持ちだけは失いたくないと、改めて感じました。

光の祭典・ブランデンブルク門
光の祭典・ブランデンブルク門(筆者撮影)

出典・参照

Görtemaker, M. (2009) ‘Probleme der inneren Einigung’. Bundeszentrale für politische Bildung.
https://www.bpb.de/themen/deutsche-einheit/deutsche-teilung-deutsche-einheit/43787/probleme-der-inneren-einigung/

Thurau, J. (2021) ‘COVID highlights a geographic split in Germany’. DW.com.
https://www.dw.com/en/covid-highlights-a-geographic-split-in-germany/a-59884113

希代真理子(2025)「2025年ドイツ連邦議会選挙について」.株式会社ジェイシーズ.
https://j-seeds.jp/column/post-na250421/

執筆者

希代 真理子(きたい・まりこ)

メディア・コーディネーター

1995年よりドイツ・ベルリン在住。フンボルト大学でロシア語学科を専攻した後、モスクワの医療クリニックでインターン。その後、ベルリンの映像制作会社に就職し、コーディネーターとして主に日本のテレビ番組の制作にかかわる。2014年よりフリーランスとして活動。メディアプロダクションに従事。2020年にAha!Comicsのメンバーとして、ドイツの現地小学校を対象に算数の学習コミックを制作。2023年3月に初の共著書『ベルリンを知るための52章』刊行(明石書店)。

当社は、海外事業展開をサポートするプロフェッショナルチームです。
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